まだまだ大腸炎です。

緊急時以外は薬を使わないことにしているので、自然治癒にまかせています。
家にこもって身体を温めつつ、よく休んで…。

とまあ、そんな状態では、食事も病人食です。
空腹は感じますが、お腹が痛いのと壊れてるのとで、食べるメニューはやっぱり決まってきます。

この日は、消化に良くてタンパク質もとれる温泉玉子(半熟玉子よりも消化が良いそうです)と、少し前に作って冷蔵庫に保存していた、蕗としらすの炊き込みごはんを使ったおじや、そして梅干し。

ちびちびと食べていたら、子どもの頃を思い出しました。

わたしは昔からお腹が弱かったので、よくお粥やおじやの世話になっていました。
わたしがちょっと元気がなくなったり、具合が悪くなると、母は残ったお味噌汁にごはんを入れて「猫まんま」を作ってくれたものでした。

出来上がったそれを、母は小鉢に少しだけよそって食べさせてくれます。
お玉の半分くらいの量で、パクパクいくなら、3口くらいの量です。

その小鉢の底には可愛い野菜の絵があって、食べきるとそれが見えます。
絵は何種類かあって、どれが当たるかは食べきらないとわからないのです。その仕掛けで、絵が好きなわたしができるだけたくさん食べるよう、考えてくれたのでしょう。

母は自宅で仕事をしていたにもかかわらず、わたしが少しのおじやを食べきると、おかわりを都度、よそってくれました。

この少しずつの量を不思議に思ったわたしが「どうして少しずつなの?」と訊いたら、母は「あんたは『猫わけ』だから」と返してきました。
「猫わけ」には諸説あるようですが、母の場合「猫がごはんを必ず少し残して気が向いたらまた食べるように、気が向いたときに少しずつ食べる」ことを意味していたようです。

実際そのとおりで、わたしは一食でたくさんの量を食べられません。
普通の人の半分〜7割くらいの量でいっぱいになってしまいますが、後でお腹がすいてまたつまむ、という感じです。

久しぶりのおじやを食べながら、子どもの頃を思い返しました。